2021年1月11日に行われた「第57回全国大学ラグビーフットボール選手権大会」決勝、天理大学は早稲田大学を破り初優勝、就任26年目の小松節夫監督が宙を舞った。
ここまでの道のりはトントン拍子ではなかったが、学生日本一にまで登りつめたのは小松監督の揺るがぬ信念があったからにほかならない。「自由と責任」について考え「自律」につなげることの重要性など、身をもって体験したことを生かすべく実践してきたからであっただろう。
こういった信念に基づいた指導は、教育の現場にとどまらず仕事で上に立つ人にとっても必要とされるものである。しかし、「自律」を促す指導ができている大人が多いとは思えないのは、多くの大人自身がそういった指導を受けてこなかったからでもある。小松監督のこれまでの歩みを確認しながら、「自律」を促す指導を探ってみたい。
ラグビーマガジン 2021年 03 月号 天理初優勝 [雑誌]
「しんどい3年間」への疑問
1963年に天理市に生まれた小松監督は、小学4年生でラグビーを始めると、天理中学時代には無我夢中でラグビーを楽しみながら近畿大会を制した。天理高校にすすむと、当時の多くの強豪校がそうであったように管理された練習によって「しんどい3年間」を過ごしたと言う。全国制覇はならなかったものの、高校3年次には主将を務めて高校日本代表にも選ばれた。しかし、この高校時代の経験が留学を決断するきっかけになったであろうとこは想像に難くない。
フランスでは、名門ラシン・クラブのジュニアチームで2年間を過ごした。ここでは試合は毎週あるものの、練習は週に1,2回しかなく練習のない日は各自で自主練習を行った。各自でフィジカルやスキルを上げて、何度かの練習で周囲と合わせていき、試合に臨むといった格好だ。日本での管理された練習とは全く違い「自律」が求められ、「自分で考えること」「自由な発想」を学んだ。
自由とは好き放題にすることではなく、自己責任によって行動するということである。「自由」が責任感や自律的行動につながることを学び体験した貴重な2年間となった。
故・岡仁詩監督の同志社大学へ
帰国後、1984年に同志社大学に入学。同志社大学は1982,1983年と大学選手権を連覇しており、この年に3連覇を達成する。当時、そのチームを率いていたのが『型に学んで型にはまらず』と自由なラグビーを掲げる故・岡仁詩監督だった。同志社大学での4年間が、フランスでの経験を具現化し言語化していったのかもしれない。
岡監督は多感な時期に戦争を迎え、当時を「個人が国家という組織の中に埋没していた」と振り返る。終戦に伴って世の中が変わり、自分で考えることができていないことに気づいたという。それから、スポーツでも型に束縛されず自由な発想や創造によって発展できるという信念のもと、「こうしろ」とは言わずに選択肢を与えたり考えさせる指導にこだわってきた。
小松監督自身が岡監督について言及している資料は見当たらなかったが、多くの記事に目を通すと幾分かの岡イズムを継承しているものと思われる。
<参考:教わり教え教えられ/岡仁詩 キリスト教文化センター│京都 同志社大学>
東洋の魔女
ここで余談をひとつ。実施が危ぶまれている東京オリンピックだが、1964年に行われた最初の東京オリンピックにおいて、「東洋の魔女」で知られる女子バレーボールチームが球技初の金メダルを獲得した。「俺について来い」と引っ張る大松博文監督のもと、深夜におよぶような長時間に渡る猛練習の賜物であった。ちなみに、大松監督は第二次世界大戦でインパール作戦からの数少ない帰還者でもある。
日本の歴史をつくった大松監督の指導ではあったが、有無を言わさぬ猛練習が正しいものという認識をもった人が多かったのかもしれない。岡仁詩流に言えば、「ひとつの成功例に束縛されてはならない」といったところだろうか。
天理大学ラグビー部の指導へ
大学卒業後、日新製鋼で5年間ラグビーを続けたあと、天理大学ラグビー部のコーチに就任する。古豪天理大学は大学選手権に29回目の出場、1970年代前後には13年連続で出場した時期もあった。しかし、小松監督がコーチとして就任した1993年というのは、大学選手権どころか1991年にAリーグ最下位で入替戦に敗戦、翌1992年はBリーグで2勝4敗1分の7位、入替戦で京都大学に26-29で敗れてCリーグへの降格が決まっていた。
Bリーグへは1年で復帰、1995年の監督就任のシーズンにはBリーグで全勝優勝、しかし入替戦で跳ね返された。挑戦を繰り返して、ついに2001年に11年ぶりのAリーグ復帰を果たす。このあと、2005年に21年ぶりの大学選手権出場、2010年には35年ぶりの関西リーグ制覇、さらには2011年には大学選手権準優勝を遂げるなど躍進を続けた。そして、今年の大学選手権初制覇である。
この間の指導については、10年の前のインタビュー記事によく表れている。例えば、選手の練習態度が悪い場合に干すことはせず、練習を真面目にやる選手とやらない選手で具体的にどういう差がでるのかを説明するという。小松監督は、全ての選手に試合に出せる出せないの具体的理由をもっている。
ほかにも、チームの決め事に従わなかったとしても、自分なりの考えを持ってのことであれば「よくやった」と評価する。選手の発想を尊重することも大切だし、外から見ていてはわからないグラウンドレベルならではの判断があるかもしれない。ただ、従わなかったことに対して叱ることはないが、なぜそうしたかの理由が言えるようであってほしいとのことだ。
理想の上司
小松監督は、人当たりが優しく口調も穏やかだ。グイグイ引っ張るのではなく、自主性を重んじながらも選手をよく観察、必要なときには理を持って説明する。児童文学作家の故・灰谷健次郎さんの作品で言うところの「添う」という表現がしっくりくる。現代の若者への指導は叱らないことが求められるため、小松監督が企業におられたとしたら人気の上司となっていたのではないだろうか。
不景気にあっては、叱らずに丁寧に説明をすることは時間も労力もかかることであり、余計なコストと捉えることもあるかもしれない。小松監督のようなリーダーが脚光を集めることで、自主性を重んじて丁寧に説明することの価値を見直す人が増えることを望む。
第100回 全国高校ラグビー 選手権大会 決算号 (ラグビーマガジン2021年02月号増刊)
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